5/20稽古&指導員講習会のお知らせ

そろそろ審査が近づいてまいりました。
それゆえにこの日の稽古は、各自の審査稽古が主体でした。

審査という目標が定まりますと、バリバリと稽古が進みますね。ぜひ審査に合格するよう、そしてその過程を通じて上達するようがんばってください。

私はこの日、両手持ちの一か条の稽古を再びしました。
両手持ちの最初の「崩し」は、引きと押しで少し異なります。

つまり(1)では、少し左にはずしながら、同時に右前に敵を崩しますので、敵はななめ後ろに倒れるようになります。
(2)では、同じく少し左にはずしながらも、同時に右手で少し引き出すようにするので、敵は前につんのめるようになります。

稽古の最後に師範から、金曜日の8時から一時間ほど、指導員対象の稽古会を第一、第三に行うこととしたと発表がありました。

指導員の方は積極的にご参加ください。

新年が始まりました

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

管理人は、火曜日の三島市民体育館に来られなかったため、金曜日の清水町体育館が稽古始となりました。火曜日には、三十名ほどが参加し、皆さんお元気で、盛況であったと聞いております。

例年師範より、年初の抱負や目標が訓示されますが、いかがだったでしょうか?

それぞれにおいても、一年の目標を定め稽古に臨んでいきましょう。

さて、金曜日稽古の後半は、子どもクラスが終わり、黒帯研究会の様を呈しております。もちろんしろ帯の方も参加可能ですので、いらしてください。現在、審査技の確認稽古を行っておりますので、初級技の細かい点を研究しております。

正面打ち一ヶ条押さえ一つとっても、いろいろなやり方があります。その中で何をスタンダードとしていくか、どこまでが各自の「特徴」足りえるのか、その辺を研究していきたいと思っています。

正面打ち一ヶ条

【受】しっかりと腕を伸展させて、振り上げてから打ち込むこと。

【仕】(我から誘うように、)進み出でて、入ること。右手手刀で刷り上げ、左手指先で、受肘を捕らえ、斜め45度方向へ崩し進むこと。

抑えの段では、便宜上止めるため、腰はやや入るが、ひねり落とすような形はとらない。また、抑えの手首は背屈せずに、巻き込むようにすること。

槍を刺すように、受の肩方向に腕そのものを詰めていくこと。
次の動作で、外方向に引っ張らないこと。(そのまま背中を通してつぶして行くように)

などを確認しました。

 

12/1練精会下期審査

去る12月1日、練精会の下期審査が行われました。
受審者全員が、稽古どおりの演武を披露し、総評では両師範から、お褒めの言葉を頂いておりました。本番は稽古どおり、稽古は本番のように、そのようなものであったと思います。

受審者それぞれの反省は、ビデオを入手して自省するのが一番でしょう。師範方から頂いたこれまでの注意点と実際の演武を客観的に比較し、みずから書き出してみるといろいろ未熟な点が浮き上がると思います。私の経験に照らせば、頭で思い描いている動きと実際の体の現れは、ずっとミスマッチです。とくに姿勢は、自分がぴんと張っているつもりでも、そうではありません。それほど姿勢の維持とは難しいのです。

審査後、師範方からの講評がありました。それを受けて、残りの時間は総合稽古となりました。その一部をご紹介します。

①片手持ち側面入り身投げ2
これは、技の稽古というよりも、その間合いの稽古というべきでしょう。
合気道は、剣の理合を体術に生かしたものといわれております。それゆえに、柔道とはことなり、組み合った状態からの技を余り想定しておりません。触れた瞬間からの崩しを想定しております。それゆえに、片手をもたれた瞬間に、いかに崩せるか、そこが稽古のしどころです。片手を持たれ、体の変更2を身体全体で行えば、受けは容易に崩れます。崩れるから技に入れるのです。

②呼吸投げ
合気道では、タイミングを図って投げる技を総称して呼吸投げとしています。このタイミングは理屈よりも体得するしかない部分があります。意識すべきは、「止まらず」「丸く」です。養神館では、分解しての動きを行いますが、徐々にその角を削る作業が必要です。分解しての技の修練は方便であると心得るべきでしょう。また、もう一つコツとしては、接触する前からの目付けです。この意識の刃を向けることで技の効きは大きく異なります。

③後ろ技の研究
後ろ両手持ちや後ろ肘持ち、肩持ちは、師範曰く、あまり稽古をしません。本当は必要だと思っておりますが、なかなかその時間が取れないとの事でした。
背後の感覚は、日常ではなかなか養えないものです。
余談かもしれませんが、車の車庫入れでもバックモニターを使い、背後感覚を養うことも少なくなりました。(という話題で先日盛り上がりました)
たとえば両手ももたれたとき、まずは「持たせる」という段階があります。持たせるときには、位置を工夫し、自分が負けない位置に手があることも大事ですが、その密着、膠着の感覚「ムスビ」が大事です。そこから、受に作用させて崩してきます。
仕手が自分勝手に動いても、それはダンスにしかなりません。
肩持ち肘持ち、それぞれ崩しだけでも稽古しましょう。

その後恒例の納会がとんかつ蘭で行われ、楽しいひと時を過ごしました。

練精会稽古は、今月中旬過ぎまで行われます。

審査間近にて【稽古記録】 と受身について

日曜教室でした。台風の被害も殆どなく、昨日の一日中の雨で、鬱々とした気分を払拭するような素晴らしい天気でした。

参加者もそこそこ多く、気持ちよく稽古できたのではないでしょうか?私の地元沼津では、愛鷹運動公園や少年自然の家で子供向けイベントを開催していたようです。

さて今日は、師範から下半期審査も近いので審査練習を集中的にするように指示があり、各自が審査稽古(なければ指導)に取り組みました。

私は東京演武大会(11/2)に参加するための演武稽古をしておりました。ここ数年は山梨演武大会の内容とほぼ同じものを演武してきましたが、今年は少し変えて、やっとレパートリーが増えてきた帯刀状態からの演武をすることとしました。

合気道は刀の理合いが元になっていると言われています。そのため今すこし居合も稽古しているのですが、その一環で帯刀状態からの合気道(居合体術というべきでしょうか・・・)を稽古しています。アレンジというほどでもないですが、合気道風にして6本ほど演武します。

さて、下期審査ですが、老婆心ながらというか、初期に心がけていたこと=師範のお言葉を御紹介します。
「大きくゆっくり」 です。

型を守ろうとすることも大事ですが、それよりも大きくゆっくり演武することのほうが大事です。大きくやることで身体を伸展させ、同時に下半身に負荷を与えます。これをゆっくりやることで伸びやかなそして粘りのある下半身が形成されます。これが後の財産になってきます。

また、もう一つ重要と思われるのが、受 そして受身です。演武を通してきれいな受、受身を学ぶことがこの時期には大事です。自分は他流の学生合気道出身ですが、受身がとても下手で悩んでおりましたが、ある演武会用に受身に徹し一ヶ月ほど稽古したところ、今の基礎となるような受身が出来るようになりました。学生と同様の稽古時間が確保できないかもしれませんが、初級の基本技には、受身のパターンの殆ど(前方飛躍以外)があります。これを完璧にこなせれば、普段の稽古はもちろん、将来は演武大会でかっこよく受身が取れます。

技にも完成はありませんが、受身にも完成がありません。私も年齢や体調に応じて徐々に受身の仕方を変えています。意外と奥の深い受身について、今度語りたいですね。

稽古の後で^_^

稽古の後の一杯◎、のビールもいいですが、近くのファミレスでちょっとしゃべってから帰るのはいかがでしょうか?

三島市民体育館の稽古の後、三島大社近くのデニーズで、スイーツを食べてから、帰ろう企画を、不定期でお誘いします。
また、よろしければ山崎まで声をかけてください。

デニーズ 三島大社町店
〒411-0853 静岡県三島市大社町14−4

デニーズは駐車場もありますよ♪
稽古もしたいけれど、親睦も深めたいという方ぜひご一緒しましょう。

恒例 三島大社奉納演武

ギャラリー

このギャラリーには40枚の写真が含まれています。

8/16に恒例の三島大社での奉納演武がありました。 三島の夏祭りの中日に行われるこの合気道奉納演武は50年を超える伝統を持つものであり、一種夏祭りの風物詩といえるでしょう。 この日10時ごろから畳の搬入、敷設などの準備を … 続きを読む

御殿場合宿が行われました。

去る6月22,23日に、五年振りの御殿場での合同合宿が執り行われました。

今回も大勢の参加を得て、100名を越える合気道同好者が稽古を行いました。
雄大なる富士山が丁度世界遺産に登録された日でもあり、あいにく富士山の雄大な姿を拝むことが出来ませんでしたが、記念となる良き合宿でした。

稽古スタイルとしては、参加団体8団体の指導者がそれぞれ順番に指導を行いました。
横浜の団体の多くは故寺田範士の技を色濃く受け継ぐものであり、締め技等が多いものでした。

個々の技の特徴的な動きは分かりましたが、その理合いについて解説いただければ、もっとよかったなと、思いました。合気道は形だけを修練してももちろんよいのですが、その奥にある理をも突き詰めないと先に進めません。

今回の合宿では、多少の自由時間があり、その中で他道場の方と技の交流をすることが出来よかったです。

後ろ両手持ち一ヶ条の2の手の処理の仕方や正面入り身における手刀の使い方などの比較をすることが出来ました。

夜の懇親会では、高校生も交え、ディープな合気道話ができ、私としては濃密に楽しい時間を過ごすことが出来ました。
四年に一度の合宿ではありますが、こう楽しいと毎年を期待してしまいます。

四年後また技の研究をして、仲間と再会したいと思います。

4月になりました。

4月に入りました。暦のこととはいえ、何か気持ちも改まる気がします。

新しく何か始めようという気概が、春の息吹と共にやってきたアナタ! 合気道はじめてみませんか? 合気道練精会では、いつでもお待ちしております。

さて、私事ですが、異動があり夜の仕事が多くなってしまいました。予定上では、暫く稽古に行くことが出来ません。メンタルも技も鈍りそうです。

 

合気は禊

再び「合気神髄」からです。

以前鎌倉合宿という寺田師範の下で一泊二日の合宿稽古を行う機会がありました。
この中で禊を体験しました。禊では、冷水を浴び、祝詞を唱え「邪気」を払います。祝詞は、「払いたまえ、清めたまえ」と一般的なものであったと記憶しています。

さて、開祖は、合気道は小戸の神業とおっしゃっています。小戸の神業とは、イザナギの尊がイザナミを追いかけて黄泉の国に行き、そこから穢れと共に還ってきたときに行った、禊と神生みのことをいいます。このときに、いわゆる三貴子(アマテラス、ツクヨミ、スサノヲ)が生まれたとなっています。

人は生きて行くうえで、自然と邪気を受けてまとってしまいます。これを払うのが、禊であります。邪気とは何か? これは体の不調もその一つでしょう。体にたまった澱=邪気を払うのが合気道ということ。すなわち、合気道は健康法でもあるのです。武であり、医術であるのが合気道の本質であるとも読めます。

また、小戸の神業=禊では、古事記において三貴子が生まれるハイライトでもあります。アマテラスは、左目から、ツクヨミは右目から、スサノヲは鼻から生まれます。イザナギ、イザナミの国生みやこの場面でも、左が尊いですね。私はこれが面白いところだと思います。日本は唐代の影響を受けて、また陰陽五行説の影響を受けて、左=陽 右=陰としているようです。ところが、別の理屈ではこれが逆になっている場合もあるみたいですね。このことについては、また少しずつ研究していきたいです。

ともあれ、禊=合気道により邪気を払い、同時に大自然、宇宙の理を体の中に作っていく=神生み=国生み というのが、合気道であります。

合気道の行(ぎょう)・・・改訂

開祖植芝翁の言葉がまとめて掲載された「合気神髄」(著者は吉祥丸氏)によれば、合気道は世界平和の実現と宇宙の真理に合一するための行であるという。突拍子もないことではあるが、荒唐無稽と一蹴せずに、正面から捉えてみたいと思う。

開祖は古神道になじみ深く大本教に帰依していたことは周知の事実である。そして古神道の最重要経典といっても過言でないのが、古事記である。ゆえに、この古事記からくるインスピレーションを体現するのが古神道的武術の一面でもあると思う。古事記が神々の営みを示すものであるのならば、そして神々を我が肉体(魄=魂の入れ物)に宿すことが古神道の究極の目的ならば、古事記の神事の再現は、神々に近づく行となるであろう。

現在は科学や物理が万国共通語のようになり、身体感覚という個人的なものが、次々と「翻訳」されている。筋肉の緊張や伸展そしてさらには、脳内物質の分泌にいたるまで解剖学的に感覚が解体され、翻訳されている。翻訳書はとても参考になるものである。再現性が高い翻訳であるが、ともすれば翻訳の解説に陥ってしまい、本来の身体感覚の追求、そしてその先にあるものついての探求が薄れてしまっているとも思う。

ところで、開祖の生きた時代においては、科学や物理は万国共通語であっただろうか?開祖は勉強家であり、その類の蔵書も数多くあったようであるが、それは純粋に知識として吸収したのであり、身体感覚をアウトプットする言語としては採用しなかったのではないか、理由としては、当時科学や物理が開祖の身体感覚を翻訳するには熟度がなかったこと、さらには、科学や物理で解説することの弊害があること、そこまで考えが及んでいたのかもしれない。

開祖が選んだのは、自身が深く帰依する宗教の言葉であり、用語であった。特に大本教における古事記の解釈、特に神々の名前に付与された意味、である。
開祖の合気神髄においては、アメノミナカヌシ(天之御中主神)や天の浮橋という言葉が頻出する。

wikipediaから古事記の国生みを引用する。
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古事記 [編集]

古事記』によれば、大八島は次のように生まれた。

伊邪那岐(イザナギ)・伊邪那美(イザナミ)の二柱の神は、別天津神(ことあまつがみ)たちに漂っていた大地を完成させるよう命じられる。別天津神たちは天沼矛(あめのぬぼこ)を二神に与えた。伊邪那岐・伊邪那美は天浮橋(あめのうきはし)に立ち、天沼矛で渾沌とした大地をかき混ぜる。このとき、矛から滴り落ちたものが積もって淤能碁呂島(おのごろじま)となった[1]

二神は淤能碁呂島に降り、結婚する[2]。『古事記』から引用すると、

伊邪那岐

「汝身者如何成也」
「汝(いまし)が身(み)はいかに成れる」
「あなたの体はどのようにできていますか」
伊邪那美

「妾身層層鑄成 然未成處有一處在」
「わが身はなりなりて成り合はざる処一処あり」
「私の体には、成長して、成長していないところ(女陰のことを示す)が1ヶ所あります」
伊邪那岐

「吾身亦層層鑄也 尚有凸餘處一 故以此吾身之餘處 刺塞汝身之未成處 為完美態而生國土 奈何」
「わが身はなりなりて成り余れる処一処あり。故(かれ)このわが身の成り余れる処を以て、汝が身の成り合はざる処を刺し塞ぎて、国土(くに)を生み成さんと以為(おも)ふ。生むこといかん。」
「私の体には、成長して、成長し過ぎたところ(男根のことを示す)が1ヶ所あります。そこで、この私の成長し過ぎたところで、あなたの成長していないところを刺して塞いで、国土を生みたいと思います。生むのはどうですか。」

こうして、二神は性交する。しかし、女性である伊邪那美の方から男性の伊邪那岐を誘ったために、ちゃんとした子供が生まれなかった。このため、二神は、最初に産まれた子供である水蛭子(ひるこ)を葦舟に乗せて流してしまった。次にアハシマが産まれた。水蛭子とアハシマは、伊邪那岐・伊邪那美の子供の内に数えない[2]

二神は別天津神のもとに赴き、なぜちゃんとした子供が生まれないのかを聞いた。すると、占いによって、女から誘うのがよくなかったとされた。そのため、二神は淤能碁呂島に戻り、今度は男性の伊邪那岐から誘って再び性交する[3]
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天之御中主神と天沼矛(あめのぬぼこ)は、背を貫く仮想の柱であり、身体意識では「頭の先から尻まで一本の鉄杭が入っていることを意識する」とか、「百会にフックがついて、天井から吊り下げられている感じ」とか言われるものに近いのではなかろうか?

天の浮橋とは不安定な地面にしっかりと立つことであるが、それ以上に「居つかないこと」を示しているのではなかろうか。

あめのぬぼこでかき混ぜる、またイザナギ イザナミによる国生みは、回転である。特に国生みにおいては、柱を回るのである。これを身体感覚に置き換えれば、中心軸をつくり、そこを固定して転換(回転)することである。軸の養成と回転感覚による練磨を説いたものである。

またイザナギとイザナミの問答には、合気において重要な「密着」について書かれている。

開祖は、合気道を通じて、古事記の世界を体現しようとしたのである。合気道は国生みであると開祖は言う。合気道を通じて国生みを行い、理想の社会、世界を築いていこうではないかと述べられている。古事記の清らかな高天原が理想郷とするのならば、その文脈において開祖の言葉は、矛盾がないのである。

合気道の行により、高天原の神々が宿るにふさわしい宮(=魄)づくり を行う。やがては魂=神々が宿る(国生み)のである。宮作りにおいては、アメノミナカヌシとタカミムスビ、カミムスビが開祖によってピックアップされているが、このうちタカミムスビとカミムスビについては、私はまだ直感するところがない。男と女、顕と幽、陰と陽を表しているようであるが、よくわからない。この二柱については、古事記においてもその後名前を変え、登場することもあり、もう少し読み込んでいく必要があるようだ。

合気会関係者でなくとも、開祖の言葉には深い合気道の秘奥が隠されていると直感し、開祖が日本の宝=神典とした「古事記」を今一度、読み直してみるのも面白い。こうした読み解きもまた、合気道の楽しみである。