練精会50年のあゆみ

昭和34年、市内小学校で三島市に縁のある篤志家により合気道の公開演武が紹介されました。この時期合気道の名前さえ一般に知られてなく、演武を見学した人々の中で興味を持った数名にて、三島合気道の発足が話し合われました。
合気道養神館の常任理事であった矢野一郎氏に依頼し、東京より寺田精之先生、松尾忠敬先生の両師範に指導を願うこととなり、昭和35年(財)合気道養神会、合気道養神館(館長 塩田剛三)に属することとなりました。

練習場は、三島市警察署柔道場を借用し、警察官共々毎週3回の稽古を開始しました。
第一回会員募集には相当数の人々が集まり道場も賑やかでありましたが、武道としての厳しさと、根気のいる修行に、次第に会員も減少し、時に数人となることもありました。更に独立した道場を持つことが困難で、時々道場を移動せざるを得ず、警察道場から保育園、講堂、寺院等を転々とすることも。こうした思うような稽古の出来ない日々でしたが、師範の温かいご指導と会員の熱意で修行を続けることができました。

その後、三島市当局や、三島市商工会議所のご好意により、利用されていない建物を道場として借用することができ、合気道の普及と心身の鍛錬に励むことができました。
時を重ねるようにして、武道もスポーツとして、又精神修養として人気を高めてきました。
三島の合気道も「合気道 練精会」として組織も充実し、活躍の場が広がるとともに会員も増加してきました。
昭和53年には三島市民待望の市民体育館が文教町に完成し、毎週火曜日の稽古日には、大勢の会員が集まるようになりました。また、月二回の日曜教室にも若い人々が続々参加するようになりました。

こうして合気道練精会は、会の目的である「合気道の精神を学びその発展普及を図り、心身の練成を通じ有為なる人材を育成し、もって国家社会の繁栄に寄与する」を実践し、地域住民の健康増進と幸せですみよい社会作りに協力すべく、三島市体育協会に加盟、同時に「三島合気道連盟」を設立したのです。

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