kana kishimoto さんの個展

練精会の会員の岸本さんの個展が開かれています。

と き 7/28(木)~8/7(日)

ところ ボルボ カーズ沼津 ショールーム二階

※8/7日には、似顔絵をプレゼントしてくれるそうです。(ただし予約制)

予約 055-922-0370 ボルボ・カーズ沼津

玄侑宗久さんの講演にいきました。

先日、僧侶の玄侑宗久さんの講演を聴く機会がありました。

その中で、古事記の神代について触れている箇所があったので、メモをしておきます。
まず生まれたのは、アメノミナカヌシ。そこから更にタカミムスビノカミ、カミムスビノカミが生まれ、これを造化三神という。

さらに
ウマシアシカビヒコヂ
アメノトコタチ
を加えて、別天津神(コトアマツカミ)とする。

さらにクニノトコタチとトヨクモノカミを加えて、ここまでは独神と呼ばれる。これは対(偶)がなくとも生み出すことの出来る神であり、自ずから、自然となる意の日本語「独りでになる」の語源である。

クノトコノタチとトヨクモノを含め、以下五代を加えてで神世七代とする。
以下は、対(偶)の神であり、二柱(男神、女神で)一代とする。

  1. 宇比邇神(うひぢにのかみ)・須比智邇神(すひぢにのかみ)
  2. 角杙神(つぬぐいのかみ)・活杙神(いくぐいのかみ)
  3. 意富斗能地神(おおとのじのかみ)・ 大斗乃弁神(おおとのべのかみ)
  4. 淤母陀琉神(おもだるのかみ) ・阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)
  5. 伊邪那岐神(いざなぎのかみ)・伊邪那美神(いざなみのかみ)

イザナギ、イザナミは国生みを行う神であり、この後は、二柱が生殖を行っていくことで、万物が産まれていく。これが産(三)である。

一は二を生じ、二は三(産)を生ず。「道生一、一生二、二生三、三生萬物。」これは老子の言葉です。

日本文化は、一=絶対を是とせず、対置するものを好みます。京と江戸、西の文化、東の文化など。これは、日本人が備えてきた「システム」としての生存の知恵なのでしょう。

日本人は、コツコツと諦めるという二律背反的な思想を当たり前のものとしています。これは、農耕民族的なコツコツという気質と自然災害の厳しさに対応してきた諦め、無常観があるのだと喝破しておられました。

無常観とは常に移ろう世情を受け入れる思想です。たとえば、当たり前の挨拶である「こんにちは」これは漢字に直せば、「今日は」となります。

諸外国では、「good morning」「ニイハオ」など「良き日」など祝福を述べる挨拶が普通です。しかし、日本は「今日は」と祝福を述べません。むしろ、昨日と違う今、現在を覚悟する「こんにちは」なのです。常に移ろう日々、今を生きる覚悟そういったものが、日本人にあるのだといいます。そうした無常観、これがシステムとしての「対の思想」を持ったのだといいます。

常にバランスを取るが如く、対(=二)を配置する。それゆえに、産となり芳醇な日本文化が生成されてきた。これが日本思想を読み解く鍵となります。

これまでたくさんの思想書を読んできましたが、ここまで腹落ちした解説はありませんでした。とても貴重な講演でした。

開祖も一は二を生じ、二は三を生ずると、どこかで述べられていたと記憶しております。

合気之技の解釈にも通じるものですので、もう少しこの気づきを拡大していきたいと思っています。

 

指導員研修 始動!

先週金曜日に、今年度初めての指導員研修が行われました。

石渡師範からは、細かな技の要領をいただいたのですが、それ以前の構えや基本動作について、改めて指導方法や作法の確認をしました。

以下にはそのときの覚書を記しますが、是非会員の方もご覧ください。

【構え】

構えは究極には構えあって、構えなしとなります。がしかし、我流に陥らないためにも、当初は形を用意します。

・足の間隔は、自分の歩幅を基準とする。あえて言えば、一足半。
・前足6、後足4の割合で重みを配分し、重心は天地を貫く軸とする。
・腰は反らさない。いわゆる腰骨前傾の姿勢となる。
・前足、後足とも一直線上に土踏まずが乗るようにして、角度は90度で交わる。
(一直線上になく、拳一つ~二つあけて立っている人が多いです!)
【正座法】

基本は前足踏み出して、右半身からの正座。ただし、師範に向かって座る場合などは、下がって正座の場合もある。

・構えから、後足を折り、後足膝が前足かかとに触れるように座る。跪座となり、膝を押し出すようにして正座し、このときの両膝の間隔は拳一つ~二つとする。
・礼は、背が丸まらないようにして、両の手を同時に着くのを基本とする。
・立ち上がるときは、跪座となり、両膝を出した分だけ、後ろに引き戻し、そこからまっすぐ立ち上がる。

【ひりきの養成1】

・運足は、前足から出る形となる。後足から押し出すのではない。最終的には「腰」で動く意識となる。(初心者には分からない感覚なので、前足と教える)
・手の振り上げは、腰と連動するので、手先だけの動作とならないようにして、右半身の場合、右手親指が額、左手親指が鼻の先に来るようにする。

【ひりきの養成2】

・転換は、親指先ではなく、いわゆる母指球といわれる親指の付け根付近となる。
・前足を踏み出すが、腰を落としすぎない。
・受けにもたれる手は、腰の横につけるのを基本とする。
・転換し振り上げる際は、胸の高さを手で仰ぐようにしていく。用意の姿勢に戻るときは、下を通る。
※足腰の鍛錬として行う場合は、別伝あり。

【体の変更1】

・変更の角度は30度~45度。
・体を変更し、振りかぶり、腰を前に出しながら、前足を進め、後足をひきつける。
・後足の引きつけは、構えにおける前足と後足の土踏まずを結ぶ直線上を進む。
・掌は、天を向き、そこにボールを持ったようにする。即ち、前に突き出すのではなく、下方に抑える気持ち。
※これも鍛錬として行うには、別法あり。例:剣奏法や足腰の鍛錬として行う場合。

【体の変更2】

・回転の角度は95度。
・回転の際の後足は、円周上を動く。また、極端に広げすぎない。
・手は、なべ底をなぞるようにし、胸の高さを動く。

呼吸力と抜き

今日は本年の日曜稽古の初日でした。改めて石渡師範は、本年の目標、および目標を設定することの大事さを説かれました。

常々基本、基本動作の大切さを説かれておりましたが、今日は、基本動作という型、鋳型の中で如何に工夫するか、が大事であり、基本動作を如何うまくやろう、工夫しようということは違う、という旨の話をされていたと思います。

これは、よく考えなければいけないことであります。基本動作は、型であり、その様式は崩してはならないものです。(先般技の確認会議で、多少の変更がありましたが、三島は師範の技が基準ですので、そこは師範の型が「型」なのです。)

しかしその様式をなぞればいいのではなく、その中で工夫をすることが大事ということです。

また師範は人の倍基本動作を鍛錬されたそうです。二代館長の井上先生は、日に1000回の基本動作を課したとのことです。まさに鍛錬という言葉のとおりです。

基本動作及び基本(正座法や構え、膝行法)によって作られるものは、養神館合気道においては中心力であり、呼吸力です。呼吸力は、生の力を超えた、いわば統一力というべき、全身の力を効率的に使う力です。養神館は、力強く、合気道らしくない、と言われることもありますが、これは「合気」を掴むために、まずは全力で力を出す稽古からはじめているからであります。

開祖植芝翁も、長年固い稽古をしてきたから、柔らかい技ができる、とおっしゃっておりますし、禅においても、いきなり悟りに到達するのではなく、一度徹底的に迷い抜くことが大事だとあります。

まずは、呼吸力を使った技の鍛錬が大事です。

そしてその上で、意識的に「抜き」の稽古があります。本日は、私事ですが、指導者資格をいただいたこともあり、師範に「抜き」の教授をお願いしました。師範からは、次のようなご指導をいただいたため、ここに記録しておきます。

抜きの稽古法

①両手持ち 合気上げ(立技)からの抜き崩し投げ

受け 両手持ち(やや肘伸ばし気味)

仕手 肩口目掛けて合気揚げ。そこから右肩へ崩しを掛け、受けが右肩が上がり、左肩へ重みが移り、左に崩れたところで、(抜き)をかける。具体的には、左手の開掌を蕾とし、土台をなくす感じ。

②片手持ち 二カ条押さえ(抜き崩し)

※二カ条の前段に崩しがあるので、片手を持たれ、扇に揚げ崩し二か条の形に取る。

仕手は受けの甲に掌の労宮をあわせるように【密着】し、小指を受けの尺骨の手首の窪に入れ、二カ条の形を取る。このとき握りすぎないこと。手の形のみ注意する。

添える手は、わずかばかりで構わない。

中心力より発する力を、受けの手首、肘、肩、中心と入れ、肘と肩が揚がるようにする。(やや中心に効かせ、二カ条裏の転換の準備段階に近い形とする)

このとき仕手の手元に仮想の刀を置き、我の正中、と仮想の刀の切っ先を受けの正中に置き、切っ先を斬り降ろすようにする。(やや真下に丸く斬り降ろす)

受けは抵抗する。中心を戻し、肩、肘を下げ、手首を押し返す。(ここを意識して受けが行う。※受けが【流し】を使うと成立しない)

仕手は、受けの反発【反作用】を感じたら、接触点=掌の労宮における圧力を【ゼロ】とする(または、中庸とする)ように【抜く】。

※このとき受けの反発【反作用】に答える形で応答すると、力+力で押し合いになってしまうので、切降ろしのベクトルを維持したまま、接触点をゼロ化することで受けは崩れる。(手首から力が漏れ利く、反作用の源の腰の力が支えを失い崩れる)

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これは、私の解釈が多分に入っておりますが、抜きの感覚を記録したものです。これは私の中では、別の言葉で「ゼロ化」「中庸」「反作用で動く」というように表しています。接触点における圧力のゼロ化、臍にてバランスを取ること、そして梃子の原理の複合化を今後の課題と位置づけることが出来ました。

未だ合気の初級でうろうろしていますが、何かつかみかけているような気がします。今年一年が正念場と思い、稽古して行きたいと思う今日の稽古でした。

平成28年 新年所感

あけましておめでとうございます。本年も練精会の稽古が始まりました。稽古始に当たり、石渡師範から、新年の計を立てることの意義、そして会としての「計」が示されました。

今年の計は、「基本」とのことです。

この基本は単純に基本動作を指すのではなく、基本の構え、正座法などの基本以前の動作についても改めて意識的に取り組んでいくとのことでした。
これは初心者への指導ではありません。慣れから来る慢心を戒める言葉であると、直截に受け止め黒帯の立場である者が、かみ締める言葉だと思います。

 

大会報告

10/17に行われた大会で、合気道練精会  から1組、西高、そして数年ぶりに高専合気道部が出場しました。

高専は初出場ゆえに大会雰囲気がわからず苦戦したと思いますが、立派に演武をしました。惜しくも賞にはかかりませんでしたが、今回全体的にレベルの高い演武の中、遜色のない演武でした。

基本技の競技演武は、女子の部で、西高が二位、高専が三位でした。見事結果が残せましたね。

そして自由技の部では、西高が優秀賞を受賞しました。今回たくさんの成果がありました。
   

 

極めの考え方

最近、指導員審査に向け、教本どおりの動きを確認してます。

練精会で、寺田師範の技として伝わっているものと、本部の技が細部において異なることは事実で、それはそれ、として両方を覚えるつもりでやってきました。

寺田師範の技は、一連の中で、要所要所を極めていきます。たとえば一箇条押さえでも、肘を制した後、巻き込むようにして、肘を極め、そこから更にうつぶせにして極めていきます。

本部の技は、極めは最後の押さえのみです。むしろ、途中ではわざと受けを逃がす場所を作り誘導しているような感があります。たとえば、一箇条押さえでは、肘を制した後、中心力で上方向には、揚がらないようにしますが、仕手から見て、斜め方向には、逃げられます。受けが、そこへ体を移動すると、仕手は、待ってましたとばかりに、受けの脇方向(斜め)へ受けをうつぶせに崩していきます。

四方投げもそうです。最初にガツンと肘と肩を詰めていくか? 崩しながら受けを誘導してくか? そこの思想の違いがあります。

どちらがいいというわけではありませんが、今後本部の技を学ぶ、という意識を持って稽古をする際は、いかに流れを切らさず、極めずに崩していくかが、ポイントになろうかと思います。

平成27年度 御殿場合同合宿

去る6月20日、21日と御殿場市の国立青少年交流の家において、養神館団体同士の交流会が行われました。これは、故 寺田範師の薫陶を受けた団体同士が、親睦と寺田先生の技を継承するために行われたものです。

参加者は100名超であり、稽古場である柔道場は超満員であったため、急遽白帯グループは別会場で護身術稽古となりました。

  

自然と崩れるのはなぜ?

実力というか、まったく敵わない人に触れたときの、奇妙な反応があります。

それは、触った瞬間にとくに相手が動いたわけでもないのに、(そう見えないほどの小さな動きかもしれませんが)自分の腰当たりから後ろに、くの字に折れ曲がってしまうことです。

先日ある本を読んでいましたら、この現象の解説として、中心がしっかりしている人に触ると、自分も軸をしっかり立てようと=釣り合いを取ろうと、反応を起こし、みずから崩れてしまう、と書いてありました。

合気道でも、開祖に、触れただけですべてをとられたような気がした、とあります。

触れるだけで相手を崩してしまうような人の動きをみていますと、横や縦に動いてはいますが、軸はぶれず、ただ崩れた人に触れ続けているために、崩れる人に合わせて動いているように見えます。

ただ立つだけの鍛錬が各種伝わっているのは、このことをあらわすのかと、思うしだいです。

 

ゆっくりうごくこととうごきつづけること

ここ最近2~3ヶ月は、ほとんど初心者や子どもさんたちと、基本動作の稽古しかしていません。それでもとても良い稽古になっています。

中でも「ゆっくりうごく」ということが体作りに役立っています。
動きを教えるために、分解してゆっくりと行うのですが、このとき自分の体がゴムのように伸びる感覚が出てきました。数年前まではなかった感覚です。この感覚を得てから、「養神館らしい」動きが容易に体現できるようになってきたと思います。

基本動作は、動きの理合を学ぶと共に、体錬=身体づくりです。「速さこそ技」という考えもありますが、速く動くためにゆっくり動くという、アプローチが必要だと思います。基本動作はゆっくりと形を確かめながら行うことをオススメします。

さて、もう一つは「うごきつづけること」です。
型では、歩み足を使う場面はほとんどありません。しかし、一箇条押さえや四方投げには、歩み足が隠されています。歩み足はすなわち動き続けること。身体の動作を止めてしまえば、技もとまってしまいます。これは最近の気づきですが、一か条は特に一撃で落とす覚悟と同時に歩み続ける意識が必要だと思います。
更にですが、歩み続ける先に、受け=他者を想定するか、しないか、この違いを味わいながらの稽古も面白いと思います。このあたりは、「心的作用」という形で、まとめて行きたいと思っています。