稽古に来る人が少ない時ほど稽古のチャンス

10月が終わります。
12月の第一週は下期の審査ですが、11月は火曜日稽古が2回しかありません。(詳しくは稽古カレンダーをご覧ください)

10月は稽古に来る人が少なかったですね。気温の乱高下があったにせよ、涼しく稽古にはちょうど良かったのですが、だいぶ人が少ない日々が続きました。

審査だけが稽古目的ではないので、審査が近いからもっと来てくださいよ、というのはおかしいのですが、ちょっと人が少ないので寂しいです。

今日は、審査のある人は審査稽古、ない人は各自の課題でした。私はちょっと単独鍛錬を行っていたのですが、師範が「抜き」の極意を教えてくださいました。

今日の抜きの稽古方法は次の通りでした。

①合気揚げ:まずは脇下、肩口に当たるように指先を張り合気する。次に肘を柔らかく使って揚げるが、このとき腹がへこむように抜きを使って揚げる。
受けの体が浮くようにする。
立ち技でも同様に行い、受けの体が浮いたら、片方の手を自然体に下げ、掌だけ操作する。すると受けは崩れ落ちる。またこのとき、中心力がしっかりしていれば、受けはたまらなく仕手の中心に引き寄せられる。

②片手合気入れ、抜き投げ:受けが仕手の片手をぐっとつかむ、瞬間に仕手は指先を張り受けの肩口(脇下)へと合気を入れる。力をとらえたら、そのまま体の中心から抜くようにして、仕手の後ろ(よこ)に手首を返して、受けを転がせる。そのままとらえれば受けは動けない。

③両手持ち天地投げ2(抜き):天の手は、釣り手となり、さらに手の内の合気を使う。(剣の握り)地の手は、抜きの片手もち側面入り身投げ2の要領(体の変更2の抜きバージョン)とし、受けの手を密着して離さないようにして、腰から崩していく。受けはたまらず、絡まるようにして崩れあがってくるので、仕手は転換して足を出すと、受けはもんどりうって返る。

かなりわかりにくいと思いますが、仕方ないのです。感覚的なものが大きいですから、抜きは。

人の少ない日に来続けているとこんないいこともあるのです。

人の少ないときは、師範に特別な感覚を教えていただくチャンスですよ!

切り落としの体遣い

合気道の稽古では、よく剣を振り下ろすように、という喩えを使います。
果たして剣を振り下ろす動作を日常的にやっている人がどれだけいるかが疑問ですが、この振り下ろしにも、いろいろとやり方があることが、実際にやってみると分かります。

・放り投げるように斬る。

・放物線を描くように。

・剣の重さを生かして斬る。

などなど。

それぞれ微妙に身体の使い方が違います。
私が最近の練習する剣の型に「雷刀」というのがありますが、これは文字通り雷が落ちるが如きの豪壮な型です。といっても動き自体は単純ですが、この体遣い、刀使いこそ体の合気、呼吸力に直結するものだと思っています。

興味ある方、是非私まで聞いてください。一緒に稽古しましょう。

290816三島大社奉納演武を催行しました

恒例の三島大社奉納演武を無事終えました。

小雨、時には少し強めに降る中、11時から約1時間半ほど、演武大会を行いました。今年は、沼津西高校が廃部となったため、護身術等の演武が中学生会員の演武に変わりました。かなり長時間の演武となりましたが、無事やり遂げたことは、すばらしいの一言です。

会員は例年通り、半分ぶっつけ本番で行いましたが、怪我もなく、舞台から落下することもなく(笑)演武を終えることが出来ました。

観覧にいらしてくださった皆様ありがとうございました。

片手持ち正面入身投げ

先日の稽古で、師範がこの技を指定されました。なかなか普段やらない技です。この技の妙味は、片手を持たせたまま受けの肩口に巻き上げ、体を崩すところにあるのですが、その際の説明に感じ入りました。

師範は最初あえて肩口に持ってくるとしか言われませんでした。

その後しばらくして種明かしをするように、「最後には相手の指先を掴んで反らせるのだけれど、最初から「掴む」と教えると、相手の手が離れてしまう」とおっしゃっていました。

私はこの技は「抜き」の感覚を使う技だと思っていますが、それは始めてやる人には先の話。まずは掴ませたまま相手の手を通じて、相手身体中心をあやつること、これを意識して稽古する必要があります。

やはり見てますと手を掴むという最終形にこだわり、最初から掴んでしまう人が多くなっていました。教え方、って難しいのですね。

あえて教えない、ということも大事だと思いました。

審査が近くなってきました。稽古に来て下さい!

平常の稽古に出ていれば、こんなに審査前に焦らなくてもいいのに・・・と思っている人、いますか?(笑)

審査まで二週間となりましたが、ちょっと稽古に来る人数が少ないような気がします。審査対象の人が少ないのかもしれませんが、それでも審査対象の人の出席がちょっと少ないかなあ、と思っています。

審査はあくまで普段の稽古の延長戦にあるもの。技の形だけなぞっても、審査には合格して得るものが少ないですよ。と苦言を呈します。

技の形を覚えたら、一度上級者に受けてもらってください。その上級者に受けてもらって、細かい指導を仰いでください。同級同士で仕手受けをやっても、感覚で分からない部分があります。本当の形稽古をやるのであれば、同級同士の稽古の中でも、受けの形に理合が含まれているので、意味があるのですが、なかなか今受けの形まで細かく指導できないので、上級者に受けてもらう、というのが近道であると思います。

もっともその上級者が「耐える」稽古しかしないのであれば、時間の無駄ですからそうそうに引き上げたほうがいいですね。あくまで上級者は、「受け」をしながら仕手を導くことが出来る人でなければ、なりません。

仕手・受けの稽古方法がなぜ長く採用されているのか、その意味を考えるといいと思います。

体捌き

石渡師範がいらっしゃらないとき、体捌きの稽古を加えています。
体捌きの向きに正しい方向があるわけではないのですが、ある一定の動きがスムーズに出来ることが目的です。
止らずスムーズに体捌きをして死角に入る足遣いを学ぶことで、自由技等にバリエーションが増えていきます。

普段互いに止った状態からの稽古が多いため、動きの中で技をかける稽古が少ないように思えます。特に審査稽古ばかりしていると、合気道らしい呼吸・タイミングが養われないと危惧します。

回転動作や体捌きをこれからも取り入れていきますので、よろしくお願いします。

kana kishimoto さんの個展

練精会の会員の岸本さんの個展が開かれています。

と き 7/28(木)~8/7(日)

ところ ボルボ カーズ沼津 ショールーム二階

※8/7日には、似顔絵をプレゼントしてくれるそうです。(ただし予約制)

予約 055-922-0370 ボルボ・カーズ沼津

玄侑宗久さんの講演にいきました。

先日、僧侶の玄侑宗久さんの講演を聴く機会がありました。

その中で、古事記の神代について触れている箇所があったので、メモをしておきます。
まず生まれたのは、アメノミナカヌシ。そこから更にタカミムスビノカミ、カミムスビノカミが生まれ、これを造化三神という。

さらに
ウマシアシカビヒコヂ
アメノトコタチ
を加えて、別天津神(コトアマツカミ)とする。

さらにクニノトコタチとトヨクモノカミを加えて、ここまでは独神と呼ばれる。これは対(偶)がなくとも生み出すことの出来る神であり、自ずから、自然となる意の日本語「独りでになる」の語源である。

クノトコノタチとトヨクモノを含め、以下五代を加えてで神世七代とする。
以下は、対(偶)の神であり、二柱(男神、女神で)一代とする。

  1. 宇比邇神(うひぢにのかみ)・須比智邇神(すひぢにのかみ)
  2. 角杙神(つぬぐいのかみ)・活杙神(いくぐいのかみ)
  3. 意富斗能地神(おおとのじのかみ)・ 大斗乃弁神(おおとのべのかみ)
  4. 淤母陀琉神(おもだるのかみ) ・阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)
  5. 伊邪那岐神(いざなぎのかみ)・伊邪那美神(いざなみのかみ)

イザナギ、イザナミは国生みを行う神であり、この後は、二柱が生殖を行っていくことで、万物が産まれていく。これが産(三)である。

一は二を生じ、二は三(産)を生ず。「道生一、一生二、二生三、三生萬物。」これは老子の言葉です。

日本文化は、一=絶対を是とせず、対置するものを好みます。京と江戸、西の文化、東の文化など。これは、日本人が備えてきた「システム」としての生存の知恵なのでしょう。

日本人は、コツコツと諦めるという二律背反的な思想を当たり前のものとしています。これは、農耕民族的なコツコツという気質と自然災害の厳しさに対応してきた諦め、無常観があるのだと喝破しておられました。

無常観とは常に移ろう世情を受け入れる思想です。たとえば、当たり前の挨拶である「こんにちは」これは漢字に直せば、「今日は」となります。

諸外国では、「good morning」「ニイハオ」など「良き日」など祝福を述べる挨拶が普通です。しかし、日本は「今日は」と祝福を述べません。むしろ、昨日と違う今、現在を覚悟する「こんにちは」なのです。常に移ろう日々、今を生きる覚悟そういったものが、日本人にあるのだといいます。そうした無常観、これがシステムとしての「対の思想」を持ったのだといいます。

常にバランスを取るが如く、対(=二)を配置する。それゆえに、産となり芳醇な日本文化が生成されてきた。これが日本思想を読み解く鍵となります。

これまでたくさんの思想書を読んできましたが、ここまで腹落ちした解説はありませんでした。とても貴重な講演でした。

開祖も一は二を生じ、二は三を生ずると、どこかで述べられていたと記憶しております。

合気之技の解釈にも通じるものですので、もう少しこの気づきを拡大していきたいと思っています。